こんばんは、鹿野です。
先日お伝えした、ミステリ講座の番外編ですが。
今改めて見てみますと、タイトルちょっと捻りが無さすぎですね。

もし何かございましたら、提案していただければ……!

まぁともかく、暫定のタイトルのまま第一回。始めていきましょう。

今回のテーマは「ミステリ史における、短編と長編」です。

皆さんは短編と長編、どちらが好きですか?

統計云々を無視した私の勝手な考えを申しますと、
どちらかと言えば現在は長編優勢であるような気がします。

というより、日本は歴史的に見ても長編優勢でしょうか…。

始祖江戸川乱歩こそ短編重視の作家でしたが、
横溝正史は長編作家でしたし、その後訪れた社会派の作家は
長編が多くを占めています。

勿論阿刀田高さんなど、短編の名手は何人も出て来ましたが
目立ってくるのはやはり長編ですね。

ではでは、海外ミステリではどうなんだろう?
というわけで本題です。

エドガー・アラン・ポーは皆さんご存知の通り、短編作家でした。
では、そのままミステリは短編に行くか?というとそういうわけではありません。
ウィルキー・コリンズの『月長石』という作品だったり、
エミール・ガボリオの『ルコック探偵』など長編も勿論ありました。
しかし、長編となるとミステリをずっと中心に置くことが難しいため、
ロマンスやらなんやら、他の要素が混ざってきてしまいます
結果として、ミステリとしての魅力を当時一番伝えられていたのは短編ではなかったのではないか。
と私は考えています。ドイルの回想録にもそんな節がありますしね。

そして、一気にドイルへ。
長編『緋色の研究』でデビューしたわけですが、
評価自体は当時も今も短編の方が上です。

同時代のミステリ、通称「ホームズのライバルたち」も同様。
チェスタトン、フリーマンなど有名な作家は皆短編を主力としています。

その理由…については分かりかねますが、私の想像としては
ミステリの面白さ。つまり謎とその解決を一番シンプルに綺麗に出すには
短編が良かったのではないか…と考えています。
先ほど書いた二人の作家は両方ともミステリについて評論を残しています。
推理小説が一つの形式として成立し、そして各作家がその奇妙なジャンルについて
色んな考えを巡らせていた時代でした。

とはいえ、ルプランやルルーなど長編作家は当然いました。
彼らはチェスタトンなどよりも「商業」的成功を求められた
作家であったため、人々を長い間引き付けられる、雑誌を長い間買い続けてくれる形式である
「長編」を中心に書くことが求められたのではないだろうか、と思います。

その後、黄金時代・・・は申し訳ありません、次回に。
私は授業の時間です。

質問・ご意見などはメールフォームまで。
それか、サークルに直接いらしていただいても構いません。お待ちしています。

それでは、また次回に。今週中に更新いたします。