リレーブログ九回目「スナック菓子に込められた意味」(伊坂幸太郎『ポテチ』) 担当:宮井

はじめまして。リレーブログ九月前半担当の宮井です。

 

このような文を書くのは初めてのことなので色々と欠陥があるかもしれませんが、

精一杯小説の魅力を伝えられるように頑張りますのでよろしくお願いします。

 

私が紹介させていただく小説は伊坂幸太郎の『ポテチ』です。

この小説は新潮文庫の『フィッシュストーリー』に収録されている短編です。

そのため百数ページの短めなストーリーですが、その中には伊坂作品の魅力であるキャラクター同士のユーモアのある掛け合いや伏線を散りばめた緻密な構成が凝縮されており、伊坂ワールドを手軽に堪能できる作品です。

 

あらすじ

 

宮城県仙台市で空き巣を生業として生きる今村。

ある日彼は恋人であり空き巣仲間の大西とともに野球選手である尾崎の家に侵入した。

彼らが金目の物を探していると、尾崎の家の電話が鳴った。

留守番電話が作動し聞こえてきたのは助けを求める女性の声。

今村は尾崎の代わりに助けるべきだと尾崎の家を後にし、

尾崎の周りで起こったある事件に深くかかわっていき、

尾崎と自分のある関係が明らかになっていく。

 

それでは、三つのキーワードでこの作品を具体的に紹介していきたいと思います。

 

①    発見の楽しみ

前回から引き継いだキーワードです。

この作品の主人公である今村はたまに破天荒な行動にでます。

たとえば恋人の大西にコンソメ味のポテチを買ってくるというシーンがあるのですが、

今村は塩味とコンソメ味を間違えて渡してしまい取り換えようとすると、大西に「塩味も意外と美味しいからこのままでいい」と言われ号泣してしまいます。

その時はまったく意味が分かりませんがラストシーンに近づくにつれ、ポテチで泣いた意味が分かってきます。

この意味に気づいたときの感動は読んだ人にしかわからないと思うので是非読んでみてください。

 

②    キャラクターの掛け合い

主人公である今村は空き巣です。恋人も空き巣ですし、空き巣の上司もいます。

世間一般では彼らは犯罪者であり、犯罪者を主人公とした作品は少し重い雰囲気が漂うことが多いですが、彼らはまるでそんな雰囲気をまとっていません。

話の所々で彼らはユーモアのある掛け合いをし、空き巣の最中でも軽口を叩きます。

そんな彼らに思わずクスリときてしまうことも多々あり、決して読者を飽きさせません。

四月の読書会で選出された『陽気なギャングが地球を回す』と少し似ているので、あの空気が好きな方ならきっとこの作品も楽しめると思います。

 

③    スターシステム

これは『ポテチ』だけの魅力ではありませんが、私が『ポテチ』を好む要因としてかなり大部分を占めているのでいれさせていただきました。

まずスターシステムとはなにか。これはもともとハリウッド映画で使われていたものなのですが、

ここで指しているスターシステムは手塚治虫が考案したもので、ある作品の主人公や重要なキャラクターを同作者の別作品で登場させたり、似たようなキャラとしてリメイクすることをいいます。

『ドラえもん』にパーマンが登場する、『ドラゴンボール』にアラレちゃんが登場するといった感じです。

この作品にもスターシステムが使われており、例えば今村の上司として登場する黒澤という男がいるのですが、彼は伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』という作品の主人公です。さらに同じ短編集に収録されている『サクリファイス』でも彼は主人公として登場します。このスターシステムがあることに気づくと思わずニヤリとしてしまいます。

 

 

先日、実家の北海道に戻った時に実家の本棚から唯一持って帰ってきたのがこの本です。

紹介文を書くにあたって、再度読んでみましたがやはりこの作品は面白いです。伊坂作品の基礎というか面白い要素がしっかりと詰まっているように感じます。

高校生の頃、本は読むだけで、他者に紹介するということをしたことがなかったのでこのリレーブログは新鮮でした。

ただ読むだけよりもより作品の面白さに触れることができたと思います。

 

リレーブログ八回目「夜が明ける前と、夜が明けた後のために」(多崎礼『煌夜祭』)担当:サナギトウカ

はじめまして、あるいは、こんばんは。リレーブログ第八回目をお送りします、サナギトウカです。

今回、紹介させていただくのは、中央公論社C★NOVELSからファンタジー小説『煌夜祭』。著者である多崎礼先生のデビュー作であり、同レーベルでの第二回C★NOVELS大賞に輝いた傑作です。現在では、『本の姫は謳う(全四巻)』『夢の上(全三巻、短編集一巻)』『八百万の神に問う(全四巻)』の三つのシリーズを完結させており、実力派の作家と考えてよいでしょう。もちろん、どれもとても面白い小説です。

ところでこの『煌夜祭』、昨年には中公文庫で文庫化(しかも書き下ろしの短編付き!)もされて、kindle版も出版されておりますのでお求めやすくなっております。この夏のお供にぜひ、どうぞ。

 

さて。

あなたにとって、物語とはなにでありましょうか。

ときに激しく、ときに優しく読む人のこころを揺さぶることばの連なりか。つらい現実での疲れを慰め、また人生の手本となる哲学を示すものか。自分ではとうてい経験することのできない彼方のことを追体験できる仮想の窓のようなものなのか。あるいは、もっと別のなにかかも知れない。いずれにせよ、読み手に対してなにごとかを伝えてくる媒体であることは間違いありません。

物語と一口に言っても、古くは、歴史と神話、お伽話は同じものでした。母から子へ、あるいは年長者から若年者へ、はたまた旅人が遠く離れた地まで運んでゆくこともある、受け継がれてゆくもの。口によるものにせよ文字によるものにせよ、いつしかそれらは峻別されましたが、担い手の想いを通じてなにかを記録し、誰かへと伝えるための媒体であることになんらの変わりはありません。小説『煌夜祭』は島から島へ旅し物語を伝え歩く語り部たちの、そして、その時代を生きた人々の物語です。

そろそろ枕はここまでにして、キーワードでの紹介と参りましょう。今回は、【魅力的な世界観】【発見の楽しみ】に加え、前回から引き継いだ【心を揺さぶられる寂しさ】、この三つのキーワードでこの作品を語らせていただきます。

 

①【魅力的な世界観】

 

ファンタジー小説で最も重要なことの一つは、魅力ある世界観の設計であると、あえて言いましょう。それを踏まえた上で、この作品の世界観は素晴らしいものです。
『煌夜祭』の世界観や文化はおおむね中世ヨーロッパ風のものと考えて差し支えありませんが、ある二つの点では大きく異なります。一つは、十八諸島と死の海という地理。もう一つは、冬至の晩に現れる人喰いの魔物。この二つが軸となって、作中の世界観と文化に大きなアクセントを加えています。

物語の舞台である十八諸島は、生き物の住めない酸の海に浮かぶ十七十八の島々からなります。中心にある一つの島の周りに、それぞれ二つ・八つ・七つの島々が三つの同心円のかたちに近付いては離れて周回している……なんとも不思議な世界です。(※数が合わないのは仕様です。きちんと作中で説明されますよ)算数のできない担当者はケジメされました。

……既読であるこちらからするとそのように説明したいのが山々なのですが、「未読の方にそれは少々厳しかろう」と脳内で突っ込みが入ったので、わかりづらいと思った方にはもっと身も蓋もない解説をいたしましょう。こちらは一言で済みます。つまり、塩素の電子配置をイメージしてそのまま結構です。それでもわからなければ、巻頭に絵地図がついておりますのでごあんしんください。聞きましたか奥さん、絵地図ですってよ! ファンタジー読み垂涎のあの!

話が脱線しました。

もちろん、そんな海に船が漕ぎ出せるはずもないので、島から島への移動はもっぱら飛行船で行われます。ただし、動力は日に何度か島から吹き出す蒸気を帆に受けることで賄っており、その蒸気も日に定刻通りの何便かに限られて、いつでも行き来できるというわけではありません。

スチームパンクかよ! とお思いになるかもしれませんが、その答えはイエスでありノーです。というのも、作中世界の工業力はマスケットすらないレベル。蒸気の噴出はむしろ自然現象のようなものとして捉えられており、特別に蒸気文明を取り扱うようなことはないからです。もっとも、ないだけで想像の余地は十分に残されていますし、むしろそれを仄めかすような描写すらあるので、そのあたりを考察してみるのもよいでしょう。この他にもまだある、そうした「奥行き」もまたこの世界観の魅力の一つです。

また、この地理的・技術的条件が作中で重大な伏線ともなるのですが、さすがにネタバレになりますのでこれ以上は伏せておきましょう。ただ言えるのは、「こんな世界だったら、人々やその社会はどのようになるだろう?」というファンタジーの醍醐味とも言えるそれがここにあるということです。デビュー作にしてこの実力、私事ながら、一発でファンになりました。

さてそんな十八諸島ですが、ここには人間や動植物とは別にある生物が存在しています。人から生まれながら人でなく、日の光に焼かれ、銀に触れれば傷を負う、人を喰らう異形の魔物が。彼らが正体を表すのは冬至の晩に人を喰らうときだけですが、一つの例外を除いて不死であり、動けなくなることはあってもいずれ必ず復活します。魔物としての本性を表しているときの彼らは凶にして暴、猛獣並みの力でもって荒れ狂う、十八諸島に住まうもののうち二番目に危険な生物と言えるでしょう。
しかしながら、彼らのメンタリティは人間のそれと全く同じ。感受性がゆたかで、悲しみ、怒り、喜び、また人を愛しさえするその感情は限りなく等しいものとして人間に寄り添います。

小説のタイトルでもある煌夜祭は、冬至の晩に領主の館へ集った語り部たちがそれぞれ持ち寄った話で語り明かすという祭りです。煌夜祭というのは魔物にまつわるある出来事をきっかけに始まった祭りなのですが、そのことも含めて、十八諸島にて人間と魔物がどのように歩んできたかの伝承と歴史がこの祭りに集ったある二人の語り部によって語られてゆき、そして最後には……。

彼らが語るはじめの何編かのうちは、いわゆるお伽話に見えますが、彼らの語りは進むにつれてその内容はどんどんと現在へと肉迫してゆきます。それはあたかもお伽話や神話が歴史へと移り変わってゆく様を再現するかのようであり、まさに「物語」というものを体現する構成なのです。
十八諸島とはどのようなものなのか、そこに暮らす人々はどのようなのか、魔物とはいったいなにものなのか。はじめは闇夜のように見通せなかった世界が、物語を一つ読み進めるごとに明かされてゆく感覚はえも言われぬものですよ。

②【発見の楽しみ】

 

物語に触れている時、「ああ、そういうことか!」と展開や伏線の絶妙さに膝を叩いた経験はおありでしょうか。

この作品は煌夜祭に集った二人の語り部、ナイティンゲイルとトーテンコフが交互に語る短編の物語の連なりによって構成されています。もちろん、どの物語も同じ世界観を共有しており、登場人物しかり事件しかり、すべてはなんらかのかたちで繋がっています。ただし、それぞれの物語が独立していることも確かであり、それぞれの関連性をことさら説明してくれるようなことはありません。物語と物語との幕間に語り部がいくらかの注解を入れることはあるとはいえ、です。

もっとも、これが欠点になるかというとそんなことはありません。それどころか、むしろ美点であるとすら言えます。なぜなら、小説『煌夜祭』の面白みは、そうした行間となる部分を読者であるわれわれが自分で考えて関連付けることができるという点にあるからです。物語に意味を見出すのはあくまでわれわれ読者であるということを、『煌夜祭』は思い出させてくれます。そして、その「発見」こそが物語を面白くするのだということも。

「この人物はさっきも登場していたぞ」「この地名はあの物語の舞台になった場所だ」「そうか、そうだったのか!」――はじめはただのお伽話だと思っていたものが、いつのまにかすべては一繋がりだったのだと気付いたとき、ただの断片集ではない『煌夜祭』としての全体を俯瞰することができます。夜空に星座を「発見」するかのように物語という点と点を綴り合わせてゆくとき、そこには無上の楽しみがあることでしょう。

もちろん、それだけで終わらないのが『煌夜祭』なのですが……これについては次のキーワードで語ることにいたしましょう。

③【心を揺さぶられる寂しさ】

 

さきほども少し触れましたが、『煌夜祭』はナイティンゲイルとトーテンコフという二人の語り部による七編の物語と、間に挟まれる二人の会話とで展開してゆく小説です。

ところが、祭りの席でありながら、それを聞く者はお互いのほかには誰もいません。彼らが集ったのは荒廃した島の、それも廃墟となった領主館だからです。彼らが語る物語は豊かで光に溢れているにも関わらず、彼らが座る場所はそれとは似ても似つかない暗い滅び果てた廃墟。話を一つ終えるごとに視点は現在の廃墟となった島へと帰ってきて、その明暗の対比は際立ちます。光と闇、人間と魔物、過去と現在……相容れないものが融け合い一つになってゆくカタルシスには、しかし一抹の寂しさが同居しています。

既に終わってしまった過去の出来事を語るという性質上、それは読者にとっては当然のことではあります。仕方のないことなのかもしれません。けれども、作中の世界で生きる人々にとって、それは限りなく痛みをともなうものであるはずです。物語が進むごとに増してゆく悲壮さ、確かにあったはずの希望、その果てが廃墟となった領主館での二人語り……いったい、なにがどうしてこうなったのか。ページがめくられてゆくごとに明らかになる残酷な過去が胸に刺さります。

二人が集った領主館はなぜ廃墟となったのか、二人がそれらの物語を知っているのはなぜなのか、ひいてはナイティンゲイルそしてトーテンコフの仮面の下にはいったい「誰」がいるのか……その素顔が明かされたとき、そこには驚きよりも納得があり、そして静かな悲しみが広がります。語り部が仮面を脱ぐ瞬間は祭りが終わるときの虚脱感にも似て、それはあまりにも寂しい。

もしあなたが『煌夜祭』を読んだなら、物語と物語との幕間に描かれる二人をもう一度だけ見つめなおしてみてください。きっと、そこに込められた想いに気付くはずです。

リレーブログ七回目「ハードボイルド」(神林長平『ライトジーンの遺産』)担当:垣野

初めまして。今回、第七回を担当させて頂く一年の垣野です。

一年生の私は、まだあまりこういった文章を書いたことが無いので、温かい目で見て頂けると非常にありがたいです。ちなみに、既にこの行を書くまでにかなりの時間を要していたりします。

さて、現在大学は夏休みで、現に私も実家に帰省しています。その有り余る時間を用いて、何とかこちらのブログも良い物を仕上げられたらな、と思っているところです。

 

では、本題に移りましょう。今回私が紹介するのは、神林長平の『ライトジーンの遺産』です。

私はSF小説が好きで、特に神林長平が好きなのですが、本作はそんな神林作品、SF作品への入門に最適な一冊。

神林長平という作家は、言語についてのSFを書き綴ってきた作家であり、本作もその一つです。本作は、サイファと呼ばれる超能力者を主人公としたハードボイルドSF。今は亡き巨大企業、ライトジーン社が創りだした二人の最強のサイファ「菊月 虹(キクヅキ コウ)」と彼の兄「MJ」。その出生に隠された謎を描いた作品。

小難しいSF小説は苦手だという方も、超能力ものとして、あるいはハードボイルド小説として楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

それでは、前回から引き継いだものも合わせて、三つのキーワードを紹介しましょう。

 

①心を揺さぶられる寂しさ

 

前回より引き継いだキーワードがこちらです。

本作、『ライトジーンの遺産』は、前述通り超能力者「菊月虹」の活躍を描いたSF作品です。よく「超能力もの」というと、それらの能力が故に迫害されることが多いですが、本作もその一つ。

主人公の菊月虹は、社会保障番号も何も持たない「自由人」という身分。一般人たちが、同じ人間としては扱ってくれない身分です。最強のサイファという存在でありながらも、自由人として生きているコウの姿は、どこか孤独を感じさせます。

そして、コウとMJ、二人の人造人間が生み出された理由は、臓器崩壊を起こさない人間のモデルを作り出すことにありました。というのも、この作品の世界では、人間の臓器はある日突然崩壊してしまうのです。その為、人間は人工の臓器を必要とします。しかし、一方で彼ら人造人間は、臓器崩壊を起こしません。それは彼らが「限りなく人間に近い、別の生き物」であるからです。そんな「人間ではない」という意識もまた、彼らサイファの孤独さを感じさせます。

 

 

②ハードボイルド

 

本作は、やはりこの一言に尽きます。

主人公である菊月虹は、ウィスキーと本を愛する自由人です。警察と協力して臓器犯罪を捜査をしつつ、スキットル片手にフラフラと仕事をして生活している。好きな詩集を読み耽りながら、生のウィスキーを楽しむ、いわゆるオッサン主人公。

そんな渋い主人公に反して、まわりを取り囲む登場人物といえば、相棒は新米刑事。兄のMJは企業と繋がっていき、更に能力によって性転換をして、若さまで保っている。その一方、コウはその日暮らしの生活。格好も完全に酒飲みのオッサンです。

取り敢えずウィスキーがあればいい、というような男。そんな彼のハードボイルドな生き様に、孤独さだけでなく、格好良さを感じてしまう。

 

 

③続きが読みたくなる物語

 

正直なところ、『ライトジーンの遺産』は入門書というには少々長い。文庫本でも600ページを超える連作集です。しかし、やはりそれを感じさせない面白さを持った作品なのです。

本作は七つの物語で構成されています。『アルカの腕』、『バトルウッドの心臓』、『セシルの目』、『ダーマキスの皮膚』、『エグザントスの骨』、『ヤーンの声』、そして『ザインの卵』。これらはどれも人工臓器のことを表しています。○○社製の人工臓器ということです。各章は、それぞれ腕や心臓、皮膚というようにサブタイトルに合った人工臓器にまつわる話となっています。各臓器に関する事件が起き、それを飲んだくれの超能力者が解決していく。更にその背後で、ライトジーン社にまつわる大きな陰謀が動いている……。サイファの秘密を探る物語に、引きこまれていくことでしょう。

 

 

さて、いかがでしょうか。サイバーパンクな、ハードボイルドなSFが読みたい方には是非ともオススメしたい作品です。また、ちょうど神林長平の代表作『戦闘妖精・雪風』が映画化するなんて話もあり、神林作品への注目度が上がっている(と思いたい)ということで、入門書としてもピッタリの作品です。

それでは、次の方にバトンを。

リレーブログ六回目「人間は、寂しい。」(永沢光雄『すべて世は事もなし』)担当:齊藤

あなたは「宝物」と呼べるような本を持っているだろうか。

「気分が落ち込んだときに読むと元気になれる」
「面白くて何度も読み返してしまう」
「この本のおかげで人生が変わった」
「この本を読んで新しい世界を知ることが出来た」

などなど。
その本を宝物とする理由は色々あるだろうが、一冊だけでいい。
もし、あなたが宝物と呼べる本を持っていたら、あなたは幸せだ。

そのような本に出会うことができる人は、そう多くはないのだから。
そして何よりも、その「宝物」を他人に語っているときのあなたの顔は、おそらくとても輝いているだろうから。

ミステリ研究会という読書系サークルに属していると、そういった宝物を持っている人によく出会う。
その宝物を語るときの顔がまた、いい。
話を聞き、顔を見ているとこちらまでもが楽しくなってくる。

 

今回のリレーブログでは既会員の諸氏に、そういった宝物のような一冊を語ってもらえればと思う。
その本に対する熱い想いをぶつけてほしい。
また、宝物の一冊が無い人には、大学生活のなかで本との運命的な出会いを果たしてほしいとも思っている。
大学卒業後にそういった出会いが無いとも限らないが、今よりも本を読む時間はずっと限られてくるだろう。
だからこそ大学生活中、特に夏季休暇など時間のあるときに本をたくさん読んでほしい。

とは言っても何を読んでいいのかわからないという人もいるだろう。
そんなあなたには乱読がオススメだ。
手当たり次第、興味が湧いた本をかたっぱしから読んでみる。これが乱読だ。
宝物と呼べるような本と出会えなくても、この方法でたくさんの本を読むことは貴重な経験になるだろう。

新書でも、小説でも、専門書でもいい。様々な分野に触れて、多種多様な知識に触れることは決して無駄ではないはずだ。
本を読んだ感想が「面白かった」「つまらなかった」だけでもいいだろう。
ぜひオススメしたい。

 

さて、ずいぶんと前置きが長くなってしまった。
本題である本紹介へと移ろう。

私が紹介する作品は、永沢光雄『すべて世は事もなし』。

 

①日常の中の非日常

前回から引き継いだテーマがこれだ。
この作品は短編集なのだが、日常のなかの非日常を扱った作品がいくつかある。

・クーデターが成功した日本の話である『恋はどしゃぶり』
・村の暗部を抉る小説家を描いた『村の小説家』

などなど、どれもこれもあなたを独特の永沢ワールドへといざなってくれる

②心を揺さぶられる寂しさ

永沢光雄という4文字を見た瞬間に思い浮かぶ言葉はこれだ。
彼の作品には、人間の寂しさを感じさせられるものが多い。

・性欲に溺れる男が出てくる劇中作『虹色の魚』
・人の死を悲しむことができない男の物語『「メリー・クリスマス」』

短編集に出てくる主人公たちの多くは、妻に逃げられたり、浮気をされたり、セックスから逃れられなかったりする。
他の登場人物も、同性愛者だったり、精神的に病んでいたり、SM趣味があったり、人の死を嘆くことができない人間だったり……。

これは、おそらく永沢光雄という人間自体が持っている寂しさなのだろう。
彼は酒浸りで、酔わなければ原稿を書けないアルコール中毒だった。
さらに若くして癌を患い、声帯を切除。遂には2006年に47歳の若さで亡くなられてしまった。

声帯を手術してからの闘病記は『声をなくして』というエッセイのなかで触れられているが、その本も読んでいて心が締め付けられるほど辛く、寂しい内容だ。
興味があれば、そちらもぜひ読んでほしい。
寂しさ、辛さ、そして苦しさのなかにある暖かさを実感することができる名作だ。
きっと、あなたも心を揺さぶられるだろう。

③描かれているリアルな人間

人間の寂しさだけでなく、どうしようもなさ、悲しさ、暖かさ。
そういった寂しさだけではないリアルな人間像が描かれているのも、この短編集の特徴だ。

・同性愛者の少女が上京する『自立』
・ホームレスの女性とOLの触れ合いを描く『まゆ、と、まや』
・SM趣味の歯医者に話を聞く『縛られた男』
・過去を追憶する表題作『すべて世は事もなし』

これは永沢が元々インタビュアーであったことも影響しているだろう。
アダルト雑誌で連載していたコラムを文庫化した『AV女優』は永沢を有名にさせた作品だが、これもインタビュー集だ。
AV女優に取材をし、話を聞く。そのような内容が多くの人に評価された。

この本に書かれているのは、複雑な過去を背負った「ふつうの女の子」たちだ。
おそらくは職業が何であったとしても、永沢は「ふつうの女の子」たちを表現できたのではないか。
そんな気がする。

そういったインタビューのなかで、永沢は人間が持つ様々な感情や、側面を知ることができたのだろう。
おかげで、この『すべて世は事もなし』は人間を描くことができた。
そう思っている。

 

他にも、私が初めて永沢作品に触れたときのこと。永沢光雄と野球の関係についても書きたいのだが、既に2000文字を超えてしまっている。
冒頭で偉そうなことを長々と書いてしまったためだろう。
かっこつけてそんなことを語れる身分でもないのに、気負った結果あんなものを書いてしまった。反省しなければならない。

遅れてしまったことをお詫びしながら、次の人へとバトンを渡したいと思う。
では、次の方よろしくお願いします。