冬コミ、おつかれさまでした。

サナギトウカです。

冬コミはつつがなく……とは行きませんでしたが、終わりは予想もしないかたちで訪れました。
そう、持ち込んだ25部すべてが売れたのです。それも、設営から二時間も経たない午前中のうちに。
おいちょっと去年のSF研は10部も売れなかったって聞いたんですけどお?
ことの経緯をダイジェストで説明すると、以下のようになります。

【「俺氏、サークルゲート入場に間に合わず最後尾スタート」→ 「先着していた会員に謝り倒して設営(10:40)」→「お隣さんにアイサツ」→「さあてどうなるかな、と時間潰し用に持ってきた本を引っ張りだす」→「瞬く間に完売(12:01)」→「は?????」】

うん、どういうことだこれ。
ともあれ、そういうわけで準備に数ヶ月かけた当会誌は瞬殺されたのでした。あとからやってきて購入できなかったかたには、こちらの想定の甘さが招いたことで、たいへん申し訳ありません。次回以降のイベントで増刷をかける予定ですので、どうかそのときまたよろしくお願いします。その際に告知をかけますので、これに懲りずによろしくお願いします。

それにしても、なぜこんなに売れたのかいまだに疑問です。たしかに表紙は絵のうまい方に外注したし、判型も読みやすい雑誌系のA5に、例年の中とじ製本から卓上製本機を導入してくるみ製本にしました。しかし結局それは体裁の問題であって、内容はだいたいいつもどおりの「担当の趣味」。がんばって書いたにせよ、客観的に劇的な差があるとも思えないのです。
それがどうして。こんな。だれかおしえてくれ。

冬コミ二日目(※本日)出展です

おはようございます、サナギトウカです。
連絡が遅れて申し訳ありません。

かねてよりお知らせしたとおり、当サークル「東洋大学SF研究会」はコミックマーケット89にて出展します。
一時は危ぶまれた会誌も無事に印刷が済み、なんとかなったと胸をなでおろしているところです。

そんな今回の会誌「パンクSF」特集。計48ページ、がんばってみんなでつくりました、ぜひお立ち寄りになってお楽しみください。立ち読みも可能です。
場所は「水曜日 東メ59b」。有明はビッグサイトでお待ちしております。

リレーブログ十一回目「遥かな場所へ」(アーサー・C・クラーク『都市と星』)担当:鹿野

こんばんは。サークル最年長、鹿野です。
先日行われた文学フリマ、FSMではミステリー研究会と幻想文学研究会が参加いたしました。
そこで販売した二冊の機関誌、おかげさまで数多くの方に買っていただきました。
本当にありがとうございました。

そして、今年FSMが参加する即売会は冬コミックマーケットを残すのみ。
我々はそこで、SF研究会として「パンクSF特集」をテーマに機関誌「ASOV」を出します。
編集長が並々ならぬ熱意でもって製作している一冊、コミケにいらっしゃる際はぜひ私達のブースにお立ち寄りいただけたら
幸いです。

さて。前置きはこの辺にして、本の紹介に入りましょう。
今回私が紹介する作品は、SFの巨匠アーサー・C・クラークの『都市と星』(早川書房)。
ではまず、あらすじを。

「遠い未来の世界。宇宙進出に失敗し、地球に篭もらざるを得なくなった人類は、全てが機械によって管理される、
不老不死の都市ダイアスパーを建設。都市全てをドーム状の壁で囲い、未来永劫そこで思想と空想に浸り続けることを選択した。
しかし、そこにある異分子が生まれる。彼の名はアルヴィン。彼は空想に浸ることよりむしろ「外」に出ることを望んだ。
都市の住人全てが本能的に嫌う「外」への興味を抱いた彼が生み出した、壮大な物語」

まま、こんな感じです。
それではキーワードに行きましょう。

1.距離 ※前回からの引き継ぎです。
ともすればネタバレになってしまうので、言い方が非常に難しいのですが……作品の中盤で、主人公アルヴィンはある所へ行く決心をします。
それは主人公や、彼と同じ都市に住む住人達にとってはまさしく「信じられないこと」「途方も無い冒険」なのですが、
その遥か昔には「誰もが日常的にやっていたこと」でした。
昔の人にとっては日常的であるがゆえにあっという間の時間や距離が、その時のアルヴィンにとっては
果てしなく長いものに感じられてしまいます。

皆さんにも、このアルヴィンと似たような経験はないでしょうか?
例えば初めて一人で電車に乗った時、食事を作った時、そして学校に行った時。

今では特に何でもないようにしていることで、周りも同じようになんでもないようにしていること。
それがあの時、あの一回だけはジェットコースターに乗るのと同じくらいドキドキしたんじゃないかなと思います。

そんな、今では忘れてしまったあの感覚。ちょっとした距離が果てしなく思えたあの時間を
再体験することが出来るこの場面。個人的には本作で最もお気に入りの部分です。

2.魅力的な世界
本作の舞台である、都市ダイアスパー。
主人公アルヴィンはそこから外に出たいと思い、物語は始まるのですが……
言っちゃなんですが、正直私はこの都市から外に出ようだなんて絶対に考えません。

まず「不老不死システム」が素晴らしい。
この都市の住人は、誰も年をとりません。
青年期の姿のまま千年近く生き続け、脳の中身が様々なもので満ち満ちた辺りで「記憶の選別」、つまり
「自分にとって取っておきたい記憶」のみを脳の中に残し、巨大なデータバンクである「創造の舘」にて、長い長い眠りにつきます。
そして何万年か後、再び全く変わらない青年期の姿で「創造の舘」から出てきます。
その時前世の記憶は失われているのですが、時間が経つにつれて自分が選択した記憶が蘇ってくるのです。

つまり、この都市の住人は基本的に自分にとって都合のいい、価値があると思う記憶だけしか持っていないんです。
なんと羨ましい!

そして、更に魅力的なのが「サーガ」なる娯楽。
これは最近ライトノベルなどで流行っている没入型ゲームのようなものなのですが、そのバリエーションがとにかく凄い。
よくある冒険譚のようなものから、果てしない数学や哲学の問いへ挑むようなものまで。
単なるゲームに収まらない、無限の経験への入口がそこにあるのです。
しかも、常にドンドンと新しいサーガが作られているので、全て遊びつくすということが絶対にありません。
よくある「あの映画やゲーム、知らなかった状態でまたやりたいな」なんて思ったら
それこそ「不老不死システム」でそこの記憶を無くせばいいのです。
本当に羨ましい。

勿論、この都市の魅力はこれだけに収まりません。
クラークが全力で創りだした都市ダイアスパー。
ぜひ実際に読んでみて確かめて見てください。

3.壮大な謎
本作の世界は、遥か未来。舞台は都市。
では、それまでの間に何があったのか。そして、この都市の外はどうなっているのか。
なぜ、人々は都市の中に押し込められて住んでいるのか。

なんと、その真実ははっきりとわかっていないのです。
何があったか? 多分宇宙進出の中で何かあったんじゃないかな。
都市の外?  全部砂漠だよ砂漠。
なぜ人々が都市の中に?  考えたくない。本能的に、考えられない。

そんなわけで、都市の住人の殆どはこの謎に挑むことが出来ないのです。
主人公、アルヴィンを除いて。
彼は異常とさえ感じてしまう情熱でもって、都市の住人や、更に言えば読者さえ
振り切って前へ前へ。外へ外へと進んでいきます。

しかしそんな異常性でもってでしか解決出来なかったであろうと読了後感じてしまう、大きすぎる謎。
そして、後半に登場する変てこな登場人物。

謎と主人公がドンドンと物語を大きくしていくこの感覚、これこそが本作の醍醐味なのです。

さて。どうにかこうにかこの辺で。
本作は見所や面白さに満ち満ちた作品で、何度読んでも面白く、飽きません。
そして、読んだ後人と語り合ってみたい作品でもあります。
外に出るのが億劫なこの時期。
クリスマスだ忘年会だと浮かれる世間を他所に、一人濃密な世界に浸りきってみてみてはどうでしょうか。

リレーブログ十回目「若いころはよかった」(大場惑『ほしのこえ』)担当:黒井白蓮

どうも。前SF研会長の黒井です。
機関誌の活動には少し関わりましたが、ブログの場で書かせていくのは一回目でございます。みなさん初めまして。
大学に入学して何回目の冬だったか、この肌寒さにも慣れてきつつあります(もう今年で最後にしたいなぁ)
FSMの活動はこの時期になると、毎年の事ですが、やたらと忙しくなってきます。
かつて幻文研の機関誌は夏コミで出展させていただいたのですが、それを近年文学フリマであったり本の杜にその機会を変えると、時期変更のシワ寄せが来るようになりました。秋から冬にかけて普段はユルいサークルの雰囲気もすこしピリピリしてるように感じます。
さて、当然リレーブログの参加も初めてなのですが、優秀な後輩たちの業績を真似しながら、それっぽくやっていこうと思います。

私が扱う作品は「ほしのこえ」
2002年に新海誠が原案、脚本、監督を務めた映像作品を、大場惑によってノベライズ展開された作品であります。
世界観は私たちが住む世界より少し未来の世界。2039年、火星を訪れた探査チームは突如飛来した生命体タルシアンにより全滅される。発達した文明の中で、タルシアンの追跡調査のために国連宇宙軍が組織される。2046年中学生のノボルとミカコは剣道部に所属する中の良いクラスメートであったが、ミカコが国連軍選抜メンバーに抜擢され二人は宇宙と地球で離ればなれになってしまう。二人の連絡手段は携帯電話のメールであったが、調査が進むにつれて次第に二人の時間にずれが生じ、メールのやりとりは困難になっていくのであった……

Ⅰ「新しい価値観」※前回からの引き継ぎキーワード
 少年と少女の恋愛について扱う作品は当然存在し、それに遠距離恋愛を混ぜたとしてもまだ多い。しかし、この作品では選抜メンバーに抜擢されたミカコが搭乗型ロボットに乗り、タルシアンと戦闘を繰り広げるなど、このようにミックスしたジャンルはあまり存在しない。私が初めてこの作品に出会ったとき、この目新しさに驚嘆したものだった。設定にしても、SF作品並の細かな設定を扱っており、SF読みの方が読んだとしても納得頂けると思う。この手の作品を読まない人にとっては間違いなく新しい価値観が芽生える作品である。

Ⅱ「距離」
 宇宙と地球の距離を測る単位として、光年という言葉は世間的にも浸透している。ほしのこえでは、その尺度をメールのやり取りができる距離としており、その感覚はなかなか趣がある。作品の中に限らず、誰もが一般生活でその尺度を自分なりに変換していることが無意識にあると思う。ちなみに私は徒歩10分という単位を「自宅から最寄り駅まで」、360分を「講義を休める時間の限界」という認識をしている。この作品については離れていく距離感、そして嘆く二人の心情に注目して読んでもらいたい。

Ⅲ「思春期」
 少年少女時代は誰もが歩む通過儀礼であるが、当然恋愛について行動を起こさないまでも意識した人は多いはずだ。大人になるにつれて、皆が感情について簡潔に処理するようになり、自分がかつて悩んでいたことさえ忘れる。価値観の基盤を作りあげる思春期ならではの処理しきれない感情を、ノボルとミカコから知ることができる。私がこの作品に出会ったのは中学二年のころ、奇しくもノボルとミカコと年代の近いときであった。当時は共感したということこそなかったが、いま改めてこの作品を読み直すと、自分が思春期の頃のやきもきした感情を思い出す。それがどんなに黒歴史であったとしても……
 この作品とは関係ないが、原作の新海誠作品の多くはこの思春期特有の感情が多く扱われる。自分の思春期の悩みを彼の作品から思い出すことが出来るのだ。

もしまだこの作品に出会ってない方は先に映像作品から見ることをお勧めします。ノベライズは映像作品では扱われなかった設定やアフターストーリーが詰め込まれており、いうなれば映像では語られなかった部分の補填に近い。
当然ノベライズ版から読めば全貌もわかるが、後に映像作品を見ると特に目新しさもないため30分程度の映像作品から入ることが望ましい……はず。
次はおそらくFSMのレジェンド鹿野氏の投稿。私の失態を、彼なら見事に拭ってくれると信じて……それでは失礼いたします。

冬コミ当選告知におけるタイムラグかデマの可能性

そんなわけねーだろ!!

SF研副編集のサナギトウカです。今回の騒動につきまして、他の会員は関わっておりませんので、そこだけはご理解いただきたいと思います。たいへん申し訳ありませんでした。
えー、冬コミの正確な出展スペースは「30日(水)東メ59b」。頒布予定の会誌は「パンクSF特集」です。改めて、よろしくお願いします。

お詫びと言ってはなんですが、現在制作中のレビューページを先行して公開します。他の部分についても、おおよそこのような雰囲気で特集されると思われます。サイバー・スチーム・オカルト、三部門から一作品ずつ選んでおります。判断の参考になりましたら幸いです。

先出し:トランセンデンス

先出し:カント・アンジェリコ

先出し:ブラックロッド

リレーブログ九回目「中心のない世界」(時雨沢恵一『キノの旅』)担当:橋本

こんにちは。わたくし、新入会員の橋本と申します。

ようやく秋ですねえ。私は夏が嫌いなので、ようやく過ぎ去ってくれたかという気分です。
読書の秋と言われるように、この快適な季節の下で、より多くの物語に触れ、自分の中の世界観を育てていきたいと思います。
そして、文章力も……
今回は、ライトノベルでありながら、ほかの作品と一線を画す『キノの旅』について紹介したいと思います。

あらすじ
旅人のキノと言葉を話すモトラドが様々な国を訪れ、旅をする短編形式の話。
彼らが訪れる国々は、どこかおかしい雰囲気を出しており、時には危険な目にも遭う。
しかし、主人公らの心情描写はほとんどなく、客観的で、何か考えさせられるような世界観を醸し出している。

Ⅰ【言葉の力】
  ※前回の引き継ぎのキーワードです。少し意味を変えて使用させていただきます。
 ます、この物語の特徴と言ったら、ほとんどが客観的な描写であるという点です。
こんな感じで淡々と話が展開するので、何の前触れもなく残酷で予想もできない展開になることもあり、
このおかげで、「だからなんなの??」と言いたくなるような話も多くあります。
しかし、『緑の海の中に、茶色の線が延びてきた。』、『エルメスと呼ばれたモトラドが悲鳴をあげた。』
このような描写を積み重ねることにより、多様な解釈ができるという面白さがあると思います。
また、その大半が、広大な荒野とそこを駆けるモトラド(バイクのことです)にまたがる人間、この広い世界に点在する国、村、
っといったスケールの大きなものです。宇宙にもたとえられるような……
こういった世界観を出せるのは、そう、作者の言葉の力のなのです。

Ⅱ【新しい価値観】
 読んでいて思うのですが、出てくる国々はみなどこかおかしいのです。
しかし、そこで生活する住人はそれが普通のことであるかのように振舞います。
そして、主人公キノはそれが残酷だろうと、喜ばしいことだろうと、同情もせず、ただ見つめ続けるっといった態度を
貫きます。時には主人公だって、え?っと思うようなことを平気でします。
しかし、その世界では当たり前のことなのです。我々が共有する常識があるように、彼らにもまたあります。
もちろん、現実世界にも同じようなことが言えます。われわれが見ている世界はほんの一部でしかない。
この「キノの旅」に驚かされるのは、いかに私が固定観念に縛られているかを思い知らされるところです。

Ⅲ【ジェンダー】
 ジェンダーとは社会的、文化的に形成された性のことをいいます。
女は優しくあれ、男はたくましくあれ、といったフレーズもそれにあたりますし、
物語のヒロインは可愛いくなければならないといったものもそうだと思います。
ほとんどのライトノベルのヒロインもこの原則に縛られていると私は思います。
しかし、なんと主人公キノは、はっきりと性別が示されておらず、セリフの言い回しも
敬語を使うので、推測もできません。(ただ、読んでいくうちに、キノの性別が示唆されているところが所々にある)
キノはジェンダーから解放された数少ないキャラクターなのです。
最近、メディアでも、女装家、ゲイ、レズビアンなどが徐々に取り上げられていますが、
出版された年がゼロ年代初頭だという点を考えると、とても斬新で、先進的なように感じられます。

以上です。冗長な文章でしたが、ここまで読んでいただいた方に、心より感謝申し上げます。
そして、これからも橋本をよろしくお願いします。

 

リレーブログ八回目「幼き者の復讐劇」(辻村深月『ぼくのメジャースプーン』)担当:鈴木

 どうも、新会員の鈴木です。
 先日、学校へ向かう道の途中でセミの鳴き声が聞こえてきました。もう秋なのによく頑張っているなと思うと同時に、きっとあの声に応える相手はもういないだろうなと寂しい気持ちになったことを覚えています。
 今回紹介する辻村深月の『ぼくのメジャースプーン』は、読者をそんなセンチメンタルな気持ちにさせてくれる作品です。

あらすじ
「ぼく」の幼馴染みのふみちゃんは決して美人ではない。大してオシャレなわけでもなく、レンズの分厚い眼鏡をかけて、歯には矯正器具をつけている。でも頭が良くて、話が面白くて、みんなからは頼りにされる。「ぼく」の憧れの存在だ。
 ある日、学校で飼っていたウサギが惨殺される事件が起きた。第一発見者になってしまったふみちゃんはショックで心を閉ざし、しゃべることができなくなってしまう。「ぼく」はふみちゃんのため犯人の市川雄太に復讐することを決心する。

1.【現実との接点】
前回からの引き継ぎワードです。
 動物虐待やPTSDなど扱っている内容は暗いものがほとんどです。特に心が削られるのは、加害者側の悪意の軽さでしょうか。やった本人たちにはさして悪気があったわけではない、しかしされた側にしてみれば笑えない。ウサギを殺した市川雄太もそうですが、身近なクラスメイト達からもそんなタチの悪さが滲み出ています。現実でもままあることですがそれだけに、ふみちゃんや主人公である「ぼく」が翻弄される様子には無視できないものがあります。

2.【言葉の力】
 主人公にはある特別な力があります。作中では「条件ゲーム提示能力」と呼ばれるそれは、声をかけた相手に暗示をかけることができるというもの。使い方次第で相手を自由に操ることができ、主人公の復讐の要となるものでもあります。
 基本的には「Aをしろ、さもなければBになる」という形で相手に強制的にゲームを仕掛けます。
Aという条件を提示して、相手がそれを達成できない、又はしない場合はBという罰を与えることができます。 他にも同じ相手には一度しか使えない、物理的な妨害もある程度ならできるなどこまかい設定がいくつもあり、この能力の設定が物語の重要な仕掛けにもなっています。

3.【罰することは難しい】
 主人公は秋山先生(主人公と同じく「条件ゲーム提示能力」を使える。)と一緒に市川雄太に対してどんな復讐をするのかを考えていきます。
復讐は本当にするべきか。なんのため、誰のためにするのか。実際にあった復讐の方法や喩え話なども交えて、会話は進みます。そこからは平和的なものから血で血を洗うようなものまで、賛否両論があるだろう答えがいくつも出てきます。
 小学四年生の「ぼく」が出す答えも決して完璧なものではありませんが、それは人を思う気持ちあっての結果かもしれません。

 以上で本の紹介を終わりにさせていただきます。
 最後になりますが、ブログの更新が遅れてしまい本当にすいませんでした。次回の方にはもっと余裕を持ってバトンタッチしたかったのですが、どうにも思うようにいきませんでした。次回からはそれが出来るよう努力します。今後ともどうぞ、よろしくお願いします。

リレーブログ七回目「法螺吹き爺さんの昔話」(イタロ・カルヴィーノ著/米川良夫訳『レ・コスミコミケ』)担当:ナリエ

 九月も中旬に差し掛かり、朝夕が随分と凌ぎやすくなって参りました。
 読書の秋に向け、新会員のナリエがお薦めの一冊を紹介させて頂きます。
 前回の担当者が新会員らしからぬクオリティの書評を投稿してくれたおかげで少々プレッシャーを感じております、が、一人くらい足らない子がいた方が愛嬌があって良いでしょう。きっと。

 今回紹介させて頂くのはイタロ・カルヴィーノの『レ・コスミコミケ』です。

【あらすじ】
 わしは憶えとるさ! お前さんたちはだれも知らないさ――Qfwfq爺さんはいつもそんな風に昔語りを始めます。宇宙が誕生する前から生き続けていると豪語して憚らないこの老人、地球が誕生した時のことやら自分が恐竜だった時代のことやら飽きもせずくっちゃべるものの、どこまで信じていいものやら。だって毎回言っていることが違うじゃあないですか! 嘘? 本当? 理科の教科書とは違った世界の歴史を教えてくれる、摩訶不思議な連作短編集です。

1.【想像力=創造力】
 想像力は創造力の源、とはよく言われること。本作の著者、イタロ・カルヴィーノはそれを体現した作家の一人です。魔術師とも評されるカルヴィーノの作風は多岐にわたりますが、彼を有名たらしめているのは何と言ってもSF・幻想小説でしょう。自由な発想から生み出される奇想天外な物語は、本国イタリアのみならず世界中の読者を惹き付けて来ました。
 本作もまさしくそんな魅力を感じられる一冊です。『レ・コスミコミケ』は作品としてはカルヴィーノの代表作『柔かい月』の前身にあたり、主人公(Qfwfq)も共通しています。前身とは言えどもその手腕は流石と言うべきもので、宇宙の起源や太古の地球の姿を「まるでその目で見て来たかのように」Qfwfq爺さんに語らせています。カルヴィーノの筆力を示す証拠として、有り得るはずのない光景がなぜかまざまざと眼裏に浮かぶ、ということが挙げられます。ゼラチン状の地球、色彩の存在しなかった世界に初めて色が溢れてゆくさま、そういった場面を鮮やかに、生き生きと描くことが出来る作家、それがカルヴィーノなのです。
 また、収録作品の一つ『ただ一点に』は「想像力=創造力」を端的に描いた作品として読むことも出来るでしょう。まだ宇宙に開けた空間がなく、人々がひとつの点に身を寄せ合って暮らしていた時代。Qfwfq爺さん曰く、彼らのある想像が切っ掛けで宇宙は膨張を始め、星々の存在するスペースを造り上げたのだとか。鍵となるのは「スパゲッティ」(「???」と感じた方は是非手に取ってご確認を!)。

2.【SF? それともファンタジー?】
 前回から引き継いだキーワードになります。
 『レ・コスミコミケ』の多くの作品は宇宙、若しくは宇宙が成立する以前の「無」の空間を舞台にしています。宇宙については今もって謎が多く、その起源についても諸説あることは皆さまご存知でしょう。実は本作の世界観もまったくの法螺というわけではなく、そうした実在の理論に基づいて展開されています。たとえば『終わりのないゲーム』では「定常宇宙論(作中では「連続状態説」)」が採用されており、これはビッグバンと相対する理論として知られています。王道から少し外れたところを突いて来る辺りが小憎らしいですね。
 しかしそれをガチガチのSFにしてしまわないところがカルヴィーノ。彼はQfwfqたちに水素原子を使った遊びをさせるのです。湾曲した宇宙空間に原子を転がし距離を競う、ぶつかった原子はガスと化して青く燃え上がる……こうしたゲームを二億五千万年かけて行う宇宙の少年たち、この情景はまさしくファンタジックと言うしかありません。
 また、月と地球とが梯子で行き来出来るほどに近かった時代を舞台にした『月の距離』では、月の引力に引き付けられて海の生物たちが海上へ浮き上がり、空中を舞い飛ぶさまが描かれています。魚やくらげ、珊瑚礁までもが月光を受けて光りながら銀色の海の上を漂っている場面は、この作中で最も幻想的で優美であると言えるでしょう。

3.【現実との接点】
 現実離れした読み味が心地好いカルヴィーノ作品ですが、彼はリアリズム小説出身という経歴ゆえか、実在の事件や固有名詞を作中で用いることも少なくありません。オーストラリアの首都「キャンベラ」だのスペインのサッカーチーム「レアル・マドリッド」だの、まったくの空想だとばかり思っていた話の中に身近な話題が登場することで、「ん?」とわたしたちの頁を捲る手は一旦止められてしまいます。このリアリティがいっそうシュールで奇妙な味わいを作品に付与していることは言うまでもありません。
 時代や空間を超越したこの手法は他の作品にも見られ、『見えない都市』という作品には日本の「大阪」「京都」が登場します。舞台設定は13世紀だと言うのに(!)、この自由っぷりには最早敬意を表さずにはいられません。こちらも素晴らしい作品ですので、是非とも合わせて読んで頂きたいところです。

 以上、『レ・コスミコミケ』の紹介を終わります。カルヴィーノは優れた作品を多く残していますので、また機会があれば別の作品についても触れさせて頂きたいところです。
 更新が遅れてしまい、次回の担当者にはご迷惑をお掛けします。足らない子の尻拭いを、どうぞよろしくお願い致します。

リレーブログ六回目「千年先では何が起こるか分からない」(貴志祐介『新世界より』) 担当:弌

 暑さも少し和らいできたように感じる今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
 当の私は、8月後半の担当だったにも関わらずまったくブログの更新をしなかったことに対する罪悪感に苛まれております。会員の方々には沖縄のお土産を差し上げるという形でお詫びをしたいと思います。ちなみに早い者勝ちです。あ、中身はちんすこうです。紅芋タルトなるものを期待していた方、すみません。
 私事はこれぐらいにしまして、さっそく本文に参りましょう。
 今回の更新は弌がお送りします。新参者なりに頑張って更新しますよ。

 さてさて、今回ご紹介させていただくのは『新世界より』という作品です。念動力の存在する1000年後の日本が舞台の小説です。著者は貴志祐介で、この方は他にも『鍵のかかった部屋』というミステリー作品も手掛けています。

0.あらすじ
 1000年語の日本。豊かな自然に抱かれた集落、神栖66町には純粋無垢な子どもたちの歓声が響く。周囲をしめ縄で囲まれたこの町には、外から穢れが侵入することはない。「神の力」を得るに至った人類が手にした平和。念動力の技を磨く子供たちは野心と希望に燃えていた……隠された先史文明の一端を知るまでは。

1.【平和な世界の裏側】
 この作品の舞台である神栖66町はとても平和な場所、ということになっています。しかし、その平和はどうやって維持されているものなのか。町で暮らす子供たちは、その真実を知りません。自分たちがどのようにして管理されているのか。念動力とは何なのか。外の世界には何があるのか。都合のいいようにコントロールされているから、自らが置かれている環境の異常性を疑問にすら思わない。
 作り上げられた平和な社会の裏には、対を為すように巨大な闇が潜んでいます。
 私たちの社会だって、全ての情報が公開されているわけではありません。権力者にとって都合の悪いことは伏せられる。社会が抱える深い闇の存在に、私たちが気づくことはない。
 けれど、そのほうが私たちにとっては幸せなのかもしれません。大きな闇の存在に気がついてしまったら、もう今まで通りの暮らしはできないでしょうから。この作品に登場する少年少女たちと同じように……

2.【いけないことは蜜の味】
 上にも記載したように、この作品は多くの謎を秘めたまま物語が進行していきます。それは1000年間の人類史であったり、今の社会の成り立ちであったりと様々です。自分の知らないことがあったら知りたくなってしまうのが人というもの。特に好奇心旺盛な子供ともなれば、それは猶更のことでしょう。
 情報統制された社会において、真実を知るという行いは禁忌に等しいことです。
 しかし、これ以上はいけない、今ならまだ引き返せる、そう思っていても『秘密』という2文字の甘美な響きには抗えない。一度秘密の一端を知ってしまえば、全てを知るまで満足できるはすがありませんから。
 人間が、禁忌とされている知識の果実を食べてしまう、というのはどこかで聞いたことのあるような展開でもありますね。悪魔の囁きに耳を貸し、神様に背いて知識の果実を食べてしまった人間の末路はもうご存知のはずです。悪いことをしたら罰が当たるように、登場人物たちも真実を知った報いを受けることになってしまいます。
 彼らを待ち受ける壮大な物語は、罰を受けた人間に用意された試練の旅路なのかもしれません。

3、【SF? それともファンタジー?】
 『新世界より』は、現代から1000年先の日本が舞台になっています。科学文明がなりを潜め、生態系の変わり果ててしまった日本はもはや異世界。1000年後の日本は、バケネズミやミノシロ、ネンジュヘビといった見たことも聞いたこともないような生物でいっぱいです。特に独自の社会体系と言語を持つ哺乳類とされるバケネズミは、毛のないデバネズミ――現実味の増したねずみ男のような外見という見た目の不気味さも相まってとてもファンタジーらしい存在となっています。
 その一方で、作中に登場する単語の多くには、SF的要素が盛り込まれています。サイコキネシスや、生物に擬態した移動図書館、とあるコロニーが作り出したミュータントなど、摩訶不思議の一言では片付けられない科学的な世界観が、1000年先の日本にはあるのです。

 そんな世界観に興味を持った方、禁忌を犯した登場人物の行く末が気になった方、どうぞ一度この本を手に取ってみて下さい。表紙を開けばすぐに、あなたも新しい世界へと誘われることでしょう。

 ここまでだらだらとあまり中身のない文章を書いてしまった気がしますが、その反省をすると共に、後続に控えている他の1年生会員の方々が私の分まで頑張ってくれることに期待しつつ、この辺りで本の紹介を終わりとさせていただきます。
 季節の変わり目は体調を崩しやすいですから、どうぞ健康管理にはお気を付けください。
 ではでは、またの機会に。

リレーブログ五回目「チョコという概念が存在しない退屈な世界」(アレックス・シアラー著、金原瑞人訳『チョコレート・アンダーグラウンド』)担当:サナギトウカ

 暑い、暑すぎる。もう冷房と扇風機のある部屋から出たくない……。
 現実に命の危険がある昨今の日和、いかがやり過ごしでしょうか。当方では塩分補給に井関の塩飴が手放せません。なんでも今年はレモン味に加えてグレープ味とライチ味が発売したとかで、なにそれ食べてみたい。でもそれには炎天下に出かけなければならないので……これが二律背反か。
 はじめまして、もしくはお久しぶりです。今回の更新はサナギトウカがお送りします。

 さて、紹介させていただくのは『チョコレート・アンダーグラウンド』。児童書ではありますが、大人にとっても読み応えのある名作です。以下、その理由を説明しましょう。

0・あらすじ
 時の政権与党〈健康健全党〉により、チョコレート禁止法が施行された。それどころか、党員によりあらゆる娯楽は没収され、残されたのは「健全」な、すなわちなんの面白みもない代用品だけ。
 チョコレートが大好きな少年・ハントリーはこの稀代の悪法に反抗すべく、仲間を集めてチョコレートの密造および密売を企てる。しかし、それを見過ごすチョコレート警察ではない。チョコレートを巡り、体制とレジスタンスの熾烈な戦いがはじまった。

1・【冒頭におけるインパクト】
『とんでもないことがはじまった』という1ページまるまる使った扉からはじまるインパクトはたいしたもの。大多数の人が望んでいないにもかかわらず、推し進められていく権力の抑圧というテーマを、子供にもわかりやすく表現するためにチョコという小道具を用いるという発想力がすさまじいところです。
 実際、「健康健全党」ほど大規模かつ組織的でなくとも、娯楽に理解のない親だの家族だのが強権をふるえば子供のゲーム・マンガ・お菓子・もろもろの物品などは簡単に取り上げられてしまうわけでして。ああ、想像するだに恐ろしい!

2・【見え隠れするオマージュ】
 ちなみにこの禁チョコ法、(あまりに露骨なので言及するのも野暮なのですが)元ネタがありまして、一九二〇年代にアメリカで施行されたアルコールの製造・販売・飲用を禁じる法律、「禁酒法」がそれになります。この法律の成立にまつわる事情はさておくとして、これはきわめて重大な弊害をもたらしました。というのは、法律でアルコールが規制されたことで、その利権が地下組織に流れてしまったからです。これについては、映画『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネのモデルにもなった大ギャング、アル・カポネが有名ですね。つまり、チョコレートを密造するハントリー少年の元ネタが彼だ、って話なのです。なにしろ表紙のデザインが「完全に一致」していますから。
 その一方で、作中に登場する健康健全党にも元ネタと思しい組織が存在します。まず、健康健全党は「まったくの善意」で禁チョコ法その他の法律を制定し、それに反する人間を悪として排除する原理主義的な方針で活動しています。こうした健康健全に関する極端な態度は、悪名高いあのナチス・ドイツにも通じるところがあるのです。かの組織が健康を重視した政策を持っていた、というのはあまり知られていないと思います。ただし、それは「不健康」なことや人間を「悪」として排除することで為されるのであって、きわめて人倫にもとるものであったことは明記しておきます。反タバコキャンペーンの延長線上に、ホモセクシャル・遺伝病・精神病患者、ひいてはユダヤ人を法で規制し廃絶するスローガンが生まれると言えばその危険性が伝わるでしょうか。(ところで、こうした事情に詳しい『健康帝国ナチス』という胡乱なタイトルの本があってですね……)。また、健康健全党は十代半ばの少年少女を党の下部組織〈少年団〉として活動させますが、どうみてもヒトラー・ユーゲントです本当にありがとうございます。まあ〈少年団〉については自由参加なのでそこまで一致しているわけではないのですが。それらの点で、禁チョコ法を掲げ、健康という思想を強要する作中の健康健全党はナチスがモデルになっている面があるように思うのです。
 ああ、ついでに謝っておくと、この記事の題名もどっかで見たようなタイトルで申し訳ありませんね。まあ、さすがに二文字目を伏せ字にする度胸はなかったので、それで勘弁してください。……だめ?

3・【いけないことは蜜の味】
 チョコレート・アンダーグラウンドの良さは、なんといっても作中に登場するチョコレートがおいしそうだという点です。作中には様々なチョコレートが登場しますが、登場人物はそのすべてをとてもおいしそうに食べます。その理由はおそらく、当のチョコレート自体がおいしいのはもちろんですが、彼らの置かれている状況によるところも大きいのではないでしょうか。
 誰しも、「してはいけない」と言われたことをしたくなる欲望に覚えがあることでしょうが、作中のチョコレートが食べたいという欲望にも同じことが言えると思います。すなわち、自由にチョコレートが食べられないことだからこそ、チョコレートを食べることができたとき無常の幸福感を味わう。チョコレートを食べるという行為そのものに達成感と背徳感が加わり、最強の美味を生み出しているのです。そのことは描写にもあらわれていて、彼らがチョコレートを食べたいがために払う多大な労力と危険が説得力もたっぷりに書かれているからこそ、読者であるわれわれにチョコレートの実食シーンが臨場感たっぷりに、本当においしそうに見える。これを読めば、あなたもきっとチョコレートが食べたくなるはずです。
 ……もちろん、食後には歯磨きを欠かさずに! 虫歯になっても当方は責任を取りません。悪しからず。

 ではまた。