皆さんこんにちは。ご機嫌はいかがでしょうか。今年から幻想文学研の会長となります、うどん粉です。至らぬ身ではございますが、これからよろしくお願いします。
 今世間では桜舞い散る季節となり、あらゆる物事が「始まる」時期であると思います。そういった時期になると期待と共に、秋とは違った物寂しさが心に吹き込む気がします。しませんかそうですか。
 
 さて、長くお堅い挨拶はほどほどに。今年度最初ということで今回はリレーブログの簡単な説明もかねて進めていきたいと思う。
 リレーブログは会員がオススメの本を3つのキーワードを使って紹介していくというもの。その3つのキーワードの内の1つは前任の会員が使ったものから引き継ぐ。但し、前任の会員がさらにその前の会員から引き継いだものは選べない。つまり、ずっと同じキーワードを引き継ぐことはできない仕様となっている。ずっと同じだとつまんなくなっちゃうからね。しょうがないね。
 
 うだうだと近況報告と説明に文字を消費するのも悪くないのだが、本題の作品紹介と行くとしよう。今回紹介する作品は、谷崎潤一郎氏の「春琴抄」。この作品、今更僕のようなクソ雑魚ナメクジが紹介なんておこがましい事この上ないがどうしても書きたくなっちゃったのである。いいだろ好きなんだから。この作品は「鵙屋春琴伝」という一冊の書物を手にした「私」が、春琴の墓と、その横に小さくある佐助の墓を参り、2人の奇縁を語り始めるモノローグで始まるという、第三者の視点から二人の人物「佐助」と「春琴」の人生を語る形式となっている。
 丁稚の佐助は失明した春琴の目であり、琴の弟子として日々を過ごす。そのままいろいろありながらも春琴の方はわがまま且つ自尊心が強く育ち、佐助はそんな春琴に従順な弟子兼世話役として成長する。しかし春琴の性格が災いしある夜、何者かにお湯を顔にぶっかけられるという事態になってしまう。命に別状はないものの、かつての美貌は火傷によって損なわれ二人は悲しみに暮れる。そこで佐助が起こした行動とは己の目を潰し、春琴の惨状を見ることなく側に仕え続けるといもの。これに感激した春琴は佐助をこの先最後の時まで側に仕えさせ続けさせた。盲目ではあれど2人は互いに手や皮膚で触れるものから愛情を分かち、享受して過ごした。佐助が目を潰してそれを春琴に告げたその瞬間が、かけがえのない主従関係から「夢の中」で愛し合う二人になった時なのだろう。

【キーワード1:思考】※引継ぎキーワード
 この作品は谷崎氏の考える耽美なるものをこれでもかと盛りに盛った作品だということがよく言われている。マゾヒズムの極地。しかし単に肉欲を求めるだけのマゾヒズムではなく、そこには神に対する尊敬と畏怖に似た美しいものへの崇拝のようなものがあり、己の身を焼いてでもそれに奉仕したい、若しくは近くにいたいという彼の考えが垣間見える。その甘い香りに読者である我々は惹かれ、酔いしれ、蜂蜜に浸る砂糖のようにひたすらに脳髄の奥を溶かし、恍惚の息を漏らすのだ。これこそが彼の求めた耽美というものなのかもしれない。

【キーワード2:官能性】
 世に出回る官能小説と比較してみて、皆さんはこの小説を官能小説とは呼ばないかもしれない。一般に官能小説とは性描写が入ってきてこそと思われる。確かにそれもある。しかし、官能とは感覚器官を通して得られる快さのことで、特に性的な感覚を言う。直接的な性描写でなくとも我々は、視覚を通して脳にこの作品のような歪でありながらも美しく魅惑的な愛の世界を送り込むことで耽溺し、悦に浸ることが出来る。これは立派な純愛小説であり、官能小説である。決して官能を卑下することなかれ。

【キーワード3:幻想】
 佐助が己の目を潰したのは本当に春琴の為であろうか。僕はそうではないと思う。正確には愛する者の為も一応あっただろう(現に春琴は包帯を換えるときは見られたくないからと、佐助すら部屋を追い出されるほど塞ぎこむ)が、自分の中で出来上がった美しい「春琴」を醜くなった春琴で汚されたくなかったから、というのが本音だと思う。きっと耐えられなかったのだろう。佐助は自ら醜く変わった外界を捨て、自分の中の幻想の春琴と生きることを選んだのだ。声と体温は現実の春琴が補ってくれるから佐助は思う存分に「春琴」と愛し合える。2つの世界を通して春琴という存在を愛す。佐助は作中最も身勝手ながらも、最も愛情深かったのだ。

 
 さて、かなりのビッグネームを紹介したわけだが、内心冷や汗ダラダラである。あかん、これ的外れなこと書いてるんちゃうか、みたいな感じの。ま、お叱り等は勘弁してやってください。何しろケツの青いクソガキなもんで。